「感性的な美」vs.「理性的な美」?

Re: 「感性的な美」vs.「理性的な美」?

Yan Lauria -
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愛にも「理性的な愛」と「感性的な愛」があり、喜びにも「理性的な喜び」と「感性的な喜び」があり、幸せにも「理性的な幸せ」と「感性的な幸せ」がありますよね。

それで行くと「聖なる愛」と「俗な愛」はどちらも理性的な尺度での愛のように思います。絵を見ても理屈っぽい、お説教じみてますよね。

芸術的表現というのは、まずは誰かの作品やパフォーマンスを見聴きして感動する自分という体験が先なのか、それとも自分の作品やパフォーマンスを誰かから賞賛されるという体験が先なのか、よく分からないけれど、感動する体験を持つ自分が賞賛される快感を一度体験すると、再び賞賛されたい、もっと賞賛されたいと思う。

そのために、自分の感動する体験/賞賛される体験を元に、意図的/計算し、模倣又は改変し、人を感動させそうな作品・パフォーマンスを生もうとするが、ひとたび作品・パフォーマンスとして形を成すと、意図どおりの美もあれば、意図しない美も表れることがある。つまり形にするとそれが一人歩きして、意図どおり、または意図しない価値が生まれればそれが生き残り、そんな価値のない駄作であれば忘れ去られる。

そういう表現者と鑑賞者の相互作用としての芸術のプロセス自体は「理性的な美」か「感性的な美」かということとは無関係な気がする。意図した/計算した美が理性的でもあれば感性的でもありうる。

とりあえず、「論理で考える美」か、「本能で感じる美」というのが、そもそも人間にとって存在するような気がしますが、どうでしょう?