バーチャル博物館製作メモ(その20、最終回)


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バーチャル博物館製作メモ(その20、最終回)

- Yan Lauria の投稿
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いよいよ最終回。この製作メモは、頭の中にもやもやとあるものを吐き出して整理したものもあるが、そうしている間にまったく思いも寄らなかったことを発見したこともある。

仮想空間で何かを形にするというのも、似たようなところがあるだろう。デジタルコンテンツという言語又は絵筆を使ってSL/ OpenSimというキャンバスに行き当たりばったりに描いているうちに、描き始めた時には思わなかったものが生み出される。このキャンバスは見ず知らずの人との遠隔協働を引き出す特質もある。濁点のキャンバスが半濁点のキャンパスになってSerendipityの場になる。

(創作)

「創作」は「模倣」と「改良」の産物だと誰かが言ってた気がするが、それに「偶然」も加える必要がある。「独創」とは気まぐれか無意識にやった逸脱行為のたいていはゴミとして取り消される中に見つかるものだと私は思っている。

現代は「模倣」を否定し過ぎである。シェークスピアは32本ぐらいの作品のうちオリジナルはたった2本なのだそうだ。出典:https://plaza.rakuten.co.jp/hikali/diary/200701310000/

模倣は必要だ。好き勝手に創作していても技量はアップしない。徹底的に模倣することによってのみ技量がアップする(と思う)。著作権のない自然の風景や、著作権が切れたクラシック音楽を徹底的に模倣したら、それは自分の著作物になる。演奏を完全に模倣しても表現には個性が現れる。

芸術は表現したい者と鑑賞したい者の間のインタラクションがあって初めて成り立つ。鑑賞者から見ると、あまりに想定外のものに出くわしても脳が消化できない一方、いかに好きなものでも何度も観たり聴いたりしている飽きてしまう性質がある。同様のことが表現者の側にも起こる。

創作は人の期待に応える部分と期待を裏切る部分が1:1ぐらいになるのが鑑賞者にとって一番よいと私は思ってる。これもたぶん誰かが書いたのを読んだんだろう。ずっと考えているうちにどこまでが自分のアイデアでどこからが他人のアイデアなのか分からなくなってしまうことは多い。

(イネーブラとエコシステム)

創作(=模倣+改良+偶然)をするにも技量の壁が高すぎると創作は生まれない。それを可能なレベルに引き下げてくれるものを、IT用語ではイネーブラというらしい。例えば、デジカメとYouTubeというイネーブラが使えるようになったお蔭で動画が表現手段の一つとなった。

3DモデリングソフトとしてShadeとBlenderに取り組んだことがあるが、その頃は弄ったポリゴンメッシュを鑑賞できるようになるまでの道のりが長かったし、3Dモデリングソフト内で単品としてしか鑑賞できなかった。SL/OpenSImというイネーブラが登場することによって自分の作品を山や海とWindLiteの中に存在させ、それはスクリプトやアバターで動かすこともでき、しかもほかの人に鑑賞してもらえて賞賛を受ける喜びが得られ、マーケットプレイスで販売もできるようになった。

つまりSL/OpenSImはデジタルコンテンツの開発・実装・流通のためのイネーブラを備えたコミュニケーション・プラットフォームでもあり、素材提供者~コンテンツ製作者~キュレータ~鑑賞者、からなるエコシステムでもある。その中でクリエータはある部分ではキュレータとなったり鑑賞者となる。鑑賞者は誰でもキュレータになれるし模倣から始めてクリエータになることもできる。彼ら/彼女らはこのユーザーによって作り出された世界の住民としてさまざまな活動をし、それによって自己実現することができる。

(どう生き抜くか?)

ただしこのエコシステムはRLとのパイプが細い。地球から遠く離れた植民星のようだ。しかもリージョンの維持費は個人で維持するにはかなり厳しい。つまりリージョン所有者に対する淘汰圧が高い。バーチャル博物館は現実の博物館よりもはるかに安価に製作し運用できるとはいえ、ファンドを得てコンテンツクリエータに発注して作ったシムだったら、ファンドの終了とともに消えるべく運命付けられてしまうだろう。

サンフランシスコにある有名な体験型博物館のSL版であるExploratoriumは、SL内の博物館の中でも伝統を誇っていた。その運営者であるPatio Plasmaが昨年8月に亡くなり、姉妹シムであるSploLandが昨年12月に消滅したのに引き続き、Exploratoriumも来年4月に閉鎖の予定となった。目下、その存続に関係者が奔走中である。

その時いつもネックとなるのはクリエータである。どこの科学シムもリソースは空いている。せっかくリソースの50%ボーナスをもらったのを生かしていないシムが多いので、クリエータさえ顕在なら存続できるはずだ。OpenSimだってあるし。

(2枚の画像はJOGにあるIzu WhitefalconによるCento Eternaとkou umagaによるkou land。これだけの造形ができるクリエータがJOGに集まりつつある。課題の物理も近々に誰かが解決してしまうだろう。)

ところが研究者とクリエータとの競作でしかも研究者が手を加えている場合、クリエータが健在でも作品を再インストールできない場合がある。Exploratoriumはこのケースに当てはまりそうだ。

それ以外にもクリエータが亡くなったり、Banされてやる気をなくしたり、パソコンのクラッシュでアクセスできなくなったり、ネコと孫の世話で忙しくなったり、就職・転職して忙しくなったり、住民間のトラブルに巻き込まれたり、その他原因不明で突然失踪したり・・・、アビス関係でもこれだけある。

まあ、それは仕方がないのだろう。現実世界だって出版物はいずれ絶版になるし、絵画は博物館に納められる作品は限られているし、劣化しても修復してもらえる作品はさらに少なくなる。そもそも、SL/ OpenSimはあと何年存続するのかという問題もある。

Sansarが現時点では私としてはとても使える段階に至っていないことが分かった今、もう数年は現状維持だろう。その間、たとえJOGが今の規模でサーバを維持できなくなっても、それまでに自前GridのHyperGrid接続で生き抜いていけるようになれば、そのうちに新しいイネーブラ/プラットフォームが登場するだろう。

そんなことよりは、今のSL/ OpenSimのエコシステムとRLのパイプがあまりに細すぎるのがバーチャル博物館の使命としては問題である。せめて離島の観光地のように、定住する住民は少なくても週末に観光客が押し寄せるぐらいにはなって欲しいものだ。そんなmovementをどうやったら引き起こせるのだろうか・・・・。

(終わり)