Yan Lauria による投稿

大変申し訳ありません。1月は2月の間違いです。

通夜が2/9(火)18時から、告別式が2/10(水)11時から、埼玉県の大宮です。ご出席いただける方はヤンまでメッセージをお願いします。詳細情報をご連絡いたします。

「高本淳」は最初の投稿にも書いたとおり、motokoさんの同人誌ソリトンでのペンネームです。親しかった近所のお姉さんの名前から取ったものです。

高本淳の作品はこちらから読めます。

http://www.sf-fantasy.com/magazine/novelist/j-takamoto.shtml

うち、シェアードワールドは、11人の作家による連作で、高本淳ともう一人が主要部分を書いています。こちらから全体が読めます。

http://www.sf-fantasy.com/magazine/shared/

 

今日、病院での解剖のあと、遺体を葬儀屋に引き渡しました。昨日の苦しんだ末の顔と違って、安らかできれいな顔になっていたので救われました。

1/9(火)18時より通夜、1/10(水)11時より告別式を埼玉県さいたま市内で行います。

もしご出席される方は詳細情報をお知らせしますので、ヤンまでメッセージをお送りください。

またお母様がもとちゃさんの美術館や博物館をぜひこれからも残して皆さんに見てもらえるようにして欲しいとおっしゃっておられました。まだ未完成の部分、手直しが必要な部分もあり、後日、Iseki先生にご相談します。

 

もとちゃさんは、入院していすぐに意識混濁状態になって、何も言わずに逝ってしまいましたが、以前、彼女が友達を励ますために送ったメッセージを花菜さんから送ってもらいました。今読めば、まるでこの一年間、心血を注いで博物館や美術館を造ってきた彼女の遺言のように思えます。

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「がんばれなんて言わない」

わたしはね、このくそったれ社会なんかなーんにも信じないし期待もしてない。
そしてわたしのまわりのすべての人間も、自分の家族もふくめてまったくいっしょ。
彼らに自分への愛情とか友情とか同情を期待なんかしない。そんなもの時とともにどんどん変わっていってしまうもので不確かすぎてまるで当てになりはしないから。

もしほんのわずかでもそれらが継続するとしたらまさに千載一遇のラッキーってこと。
だって誰一人自分を本当に理解して共感できる者なんかいるわけないんだから。

わたしはわたし。この何百億光年何百億年もの空っぽで暗い宇宙のなかでたったひとり。

でもね、わたしはそれでもなお、このちっぽけでくそったれであやふやな社会や理解しあえない人間たちのために自分のできることを一生懸命やりたいと望んでる。
それは他人のためじゃない。自分のため。

いずれわたしの命はつきて無に飲み込まれていく。
来世なんてあるはずもない。わたしという存在は完全に消滅してなにひとつ残ったりしない。

でもそのときわたしを包み込もうとする虚無に向かってわたしはこう言ってやれるはず。

「くそったれ! 勝手にしろ。 でも、とにかくわたしはわたしにできるかぎりのことはぜんぶやったんだ!」
                      (motoko Moonwall/ 高本 淳)

コミュニティ フォーラム -> 一般の話題 -> もとちゃさん逝去

- Yan Lauria の投稿

辛い報告ですが、もとちゃさんこと、motoko Moonwallさん(同人誌のペンネームは高本 淳さん)は、昨日13時50分に肺がん起因の呼吸不全で亡くなられました。

もとちゃさんは12月中旬にこじらせ、ひどい頭痛と吐き気で食事ができない状態となり、内科、整形外科、神経内科を受診しても改善せず、1/22に救急車で医大病院に緊急入院。
その時の検査の結果、本人とお母さんに肺がんの疑いが告知されました。
そのあと意識混濁に陥り、コミュニケーションできない状態になりました。

主治医の今週始めの話では
・肺がんは4段階のうち3の段階。リンパ節に転移している。
・嚥下障害がみられ、淡が気管に入り込んで肺炎を起こしていて抗生物質を投与している。
・意識混濁の原因として脳への転移を疑ったが、MRI検査を5回実施しても異常が見られず。精神内科的な問題にがんの告知が関係しているかもしれないが原因不明。精神内科がある病院と連絡を取り合っている。
・意識混濁の状態では体への負担が大きい抗がん剤治療が行えない。抗がん剤なしに高カロリー点滴を行うとがん細胞が増殖してしまうので、それもできず、栄養状態を注意深く監視している。

ということでしたが、意識の状態が悪すぎるため、MRIでは移らない脳の髄膜への転移を疑い、そのための検査を行うところでした。

もとちゃさんは高齢のお母さんと2人暮らしで、1月中旬より私からお母さんへ電話を繰り返し、入院後はさいたま市の医大病院にも見舞いましたが、最後までもとちゃさんとは会話できないままお別れとなりました。まずは報告まで。