皆様
9日の通夜、10日の告別式では親族と親しい友人だけの家族葬として営まれ、もとちゃさんを見送ってきました。
SL/OpenSim仲間では私、つかささん、JSAPO理事長さんの3人が参列しました。お通夜では私とJSAPO理事長さんよりお送りいただいたメッセージを紹介しました。JOGフォーラムに投稿されているメッセージとJSAPO理事長さんから届けていただいた分もあわせて計40人近い方からのメッセージ(大き目のフォントで印刷して30ページ以上)と記帳していただいた方のご芳名をお母さんに渡し、棺にも入れました。記帳してくれた人も合わせると80人近い人数でした。
もとちゃさんはこの数年間、SLとOpenSimでのものづくりだけに没頭していたので、長い間、もとちゃさんと2人暮らしだったお母さんは、孤独そうだったもとちゃさんにこんなにお友達がいて、その作品も多くの人に見てもらっていることを大変よろこんでくれました。またもとちゃさんの作った博物館や美術館が世界にも役立っているのなら、ぜひこれからもそれを残していって欲しいとおっしゃっておられました。
もとちゃさんは仮想空間に没頭するまでは同人誌アニマ・ソラリスで数々のSF小説を高本淳というペンネームで発表されています。そういう意味で、motoko Moonwallは高本淳が創作したヒロインの一人だったかもしれません。アニマ・ソラリスでは今度、追悼特集号を発行することとなり、その同人誌仲間で、日本SF大賞を受賞したこともある上田早夕里さんより次の追悼文を頂きました。
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高本淳さんの才能と作風を知ったのは、いまから20年ほど前、SF同人誌「ソリトン」に参加していたときのことです。当時の参加者の大半は、数名の例外を除いてまだプロ作家ではなく、私もただの一同人に過ぎませんでした。その交流の中で、高本さんの掲載作と出会ったのです。
堀晃さんが主宰だった影響もあってか、「ソリトン」同人の一部には、見事なハードSFを書ける方が何名もおり、そのうちのひとりが高本さんでした。ある惑星の過酷な環境に置かれた主人公が、たったひとりで知恵と技術によってそこから脱出するという展開は、SF好きなら誰もがわくわくするに違いない鉄板のストーリーで、私はそのときに受けた印象を、20年近く経ったいまでも鮮明に記憶しています。
ご本人自身は、ハードSFの書き手であることについて、照れたような否定的なコメントも出しており、一面、それは真実でもあったのだろうと思いますが、緻密なSF設定ができるその才能がどれほど優れたものであったかは、「Anima Solaris」でのシェアードワールド企画における世界設定の多くが高本さんの手によるものであったことからも明らかです。
美術史や技術史にも造詣が深かったそうで、おそらく、あらゆるものを愛で、軽やかに思考し、そのずっと先を見ていたのが、高本淳という書き手の本質だったのだろうと思います。
Second Life や Japan Open Grid でのバーチャル博物館構築で、大変な功績をあげておられたと聞き及び、その仕事が途絶してしまったことが本当に残念でなりません。きっと高本さんの頭の中には、壮大な計画のすべてが最初から存在していたはずで、それは優れたSFを書く方に共通する資質であり、高本さんも例外ではなかったはずですから。
しかし、作られた成果物の中に、高本さんの精神性は確実に保持されているわけで、インターネットを通して、誰もが、これからも、高本さんの仕事を閲覧し続けることができるなら――それはこの時代の本当にありがたいところで、この環境が、いつまでも長く守られることを、私は心の底から願ってやみません。