Shinobar Martinek による投稿

> あれが自然災害の多い日本で工学的に成立するのか違和感ありすぎですね。

ですよねえ。

じつを言うと、平安〜鎌倉にかけて建っていたという 48m高の出雲大社は、しょっちゅう倒れています。地震や台風などなくて自然崩壊と思われるものもあります。

社伝では創建時96m高→(平安〜鎌倉)48m→(江戸時代再建)24m とのこと。

しっさいは当初 96m高で建てようとしたが失敗し、48mで建てたがしょっちゅう倒れるので、けっきょくは現在の24mに落ちついた。と、いうところではないかと想像します。

Shinobar North で創建時96m高の想像復元をやってみましたが、とてもまともに立っておられるとは思えない。なんとか立っていたとしても、ちょっとした風で大きく揺れて、本殿上では生きた心地しないのではないかと思われます。

ただ、私たちの想像を超える技術が古代にあったかもしれません。出雲大社の想像復元も手がけた大林組が、「もし現代の技術でピラミッドをつくるとすれば」というテーマで検討したものがあります。それによれば最後の数段の石積みが問題で、狭くて重機が入れらない。しかたがないので、そこはヘリコプターによることにしたが、頂上の大石は民間のヘリでは無理で、軍用の大型ヘリを借りるというのが結論でした。なんか、笑えません?

切妻屋根に対して入り口がどの方向にあるかで、「妻入り」と「平入り」とに分かれます。伊勢神宮など多くの神社が「平入り」なのに対して、出雲大社は「妻入り」であることはよく知られています。

ところがですね。出雲大社本殿の内部にもうひとつ社殿があります。内殿と言うそうです。いわば入れ子状態。仏壇の中に宮殿のような細工がある、そのようなものなのでしょう。ところで、この内殿は「平入り」になっています。

出雲大社は「妻入り」であって「平入り」でもある。なんとも不思議なのです。ちなみに本殿は南向きですが、内殿は西向きです。

「一家を支える大黒柱」の語源は大国主命すなわち出雲大社の中心柱。岩根御柱と言うそうです。ちなみに神様を一柱、二柱と数えるのもここから来ているのでしょう。

再現中の出雲大社の棟は両端2本の棟持ち柱が支えており、中心柱にその機能はありません。伊勢神宮でこの柱は床下にあるので、本来は「縁の下の力持ち」なのでしょう。再現中の出雲大社で社殿中にあるこの中心柱は、これから作る室内の壁を支えるだけのもので、何とも不思議な存在です。

ちなみに、両端2本の棟持ち柱は、やや内側に傾けて強度をましています。伊勢神宮の社殿を参考にしました。

ようやく棟上げに漕ぎ付けました。このあと屋根を葺いていきます。桧皮にするか茅葺きにするか迷い中。

支柱はその周囲を囲む桁を数ヶ所設置し、自立するかもしれない形に。この組物の留め構造は保留です。柱3本を束ねるのに金輪をつかっているので、ここも金属部品を使っていてもよさそうに思えます。

この支柱は社までの通し柱ではなく台座を支えるだけのもので、社はこの台座の上に載せる格好にしました。