Shinobar Martinek的帖子

出雲は白鳥と縁があるそうです。

古事記は、垂仁天皇の御子(みこ)ホムチワケ(本牟智和気)が大人になるまで言葉が話せず、白鳥の声を聞いて初めて言葉を発した逸話を記す。天皇の夢占いで、出雲大神が自分を祭る神殿を天皇の宮殿のように立派にすれば、ホムチワケは話せるようになると告げる。早速、御子が出雲に行きオオクニヌシの仮殿を伴う祭場を造ると話せるようになり、天皇はようやく出雲に宮を造営させた。

他方、日本書紀は御子を「ホムツワケ(誉津別)」とし、出雲で捕らえられた白鳥を得ることで話せるようになったと記載する。

参考ページ:  言葉を話せない御子(出雲市)

出雲大社境内で発掘された根柱は直径 1.4m のスギ丸太を3本束ねたものでした。出雲国造家に伝わる『金輪御造営指図』と一致している。これを参考に大林組チームなどが48m高の社殿を想像復元した。しかし、発掘された遺構は鎌倉時代のものです。私が Shinobar North で復元しようとするのは太古(3世紀ごろを想定)のものですから、これに拘る必要はありません。

3本の柱を束ねて金輪で縛るという形には違和感があります。奈良の大仏殿の柱も金輪を用い、中心柱を板で取り巻く集合材を使っています。これは江戸時代の再建時に大きな材木が入手できなかったための策です。出雲大社も同様の事情で、鎌倉時代の再建時に3本を束ねる手段を用いたのではないでしょうか。

日本で7〜8世紀に大規模木造建築ラッシュがあり、多くの用材が伐採されてしまいました。それより前なら、国内に巨木もたくさんあったかもしれません。3本束ねではなく素直に直径3mの木材もあったかもしれません。
再現中の主柱の長さは地中も含めて 84mです。さすがにこの長さは途中で中継ぎしたかもしれません。そのところは保留です。

朱塗りは保留です。地面付近の防腐としては朱よりもアスファルトが効果的でしょう。

内階段などの構造物と主柱との間は釘も使えたかもしれませんが、ここでは縄で縛ることにしました。京都祇園祭の山鉾の構造も縄で縛ってますね。
出雲風土記の楯縫郡条に次の記載があります。
神魂命(かみむすひ)がおっしゃられたことには、「わたしの十分に足り整っている天日栖宮(あめのひすみのみや)の縦横の規模が、千尋(ちひろ)もある長い拷紲(たくなわ)を使い、桁梁(けたはり)を何回も何回もしっかり結び、たくさん結び下げて作ってあるのと同じように、この天御鳥命(あめのみとり)を楯部として天から下しなさった。

正面階段は約100mの梯子を60°の急角度で立て掛けたものとしました。これを登るのはたいへんだというので、正面階段に加えて内階段を作ってみました。

地震のときに家の中では階段下か階段近くがいちばん安全だという話を聞きます。この内階段を付けることで、柱の耐震性も増したのではないかと。

JOG内を歩いたキャプチャー動画を YouTubeにアップロードしたところ、著作権侵害の警告が表示されました。普通にWebへの埋め込み動画で問題が無かったので気づかなかったのですが、ときに問題になることがあるようです。キャプチャー時にSIMで流していたネットラジオの音楽が録画に入っていたことが問題だったようです。

この場合、Youtube動画管理画面で当該音楽を削除することで問題をクリアすることができます。もともと録画時に環境音を大きく、音楽をできるだけ小さくしておくと良いのかもしれません。音楽を切り、アフレコで著作権フリーの音楽をミキシングするのが最善なのでしょうね。

次の動画はYoutube動画管理画面の機能で当該音楽だけを削除したものです。