出雲大社境内で発掘された根柱は直径 1.4m のスギ丸太を3本束ねたものでした。出雲国造家に伝わる『金輪御造営指図』と一致している。これを参考に大林組チームなどが48m高の社殿を想像復元した。しかし、発掘された遺構は鎌倉時代のものです。私が Shinobar North で復元しようとするのは太古(3世紀ごろを想定)のものですから、これに拘る必要はありません。
3本の柱を束ねて金輪で縛るという形には違和感があります。奈良の大仏殿の柱も金輪を用い、中心柱を板で取り巻く集合材を使っています。これは江戸時代の再建時に大きな材木が入手できなかったための策です。出雲大社も同様の事情で、鎌倉時代の再建時に3本を束ねる手段を用いたのではないでしょうか。
日本で7〜8世紀に大規模木造建築ラッシュがあり、多くの用材が伐採されてしまいました。それより前なら、国内に巨木もたくさんあったかもしれません。3本束ねではなく素直に直径3mの木材もあったかもしれません。
再現中の主柱の長さは地中も含めて 84mです。さすがにこの長さは途中で中継ぎしたかもしれません。そのところは保留です。

朱塗りは保留です。地面付近の防腐としては朱よりもアスファルトが効果的でしょう。
内階段などの構造物と主柱との間は釘も使えたかもしれませんが、ここでは縄で縛ることにしました。京都祇園祭の山鉾の構造も縄で縛ってますね。
出雲風土記の楯縫郡条に次の記載があります。
神魂命(かみむすひ)がおっしゃられたことには、「わたしの十分に足り整っている天日栖宮(あめのひすみのみや)の縦横の規模が、千尋(ちひろ)もある長い拷紲(たくなわ)を使い、桁梁(けたはり)を何回も何回もしっかり結び、たくさん結び下げて作ってあるのと同じように、この天御鳥命(あめのみとり)を楯部として天から下しなさった。